ロシアンティーを一杯

あくまで個人の意見です

アメリカ大統領選挙

2020年の大統領選挙で民主党ジョー・バイデンが、現職大統領共和党ドナルド・トランプを破って次期大統領となることが事実上決まった。不正の疑いなんてのもあるようだが仮に不正をやっていたとしてもやっていなかったとしても、米帝の暴力的な性格は不変である。まーようするに

 

くだらん

 

の一言に尽きる。

 

ブルジョワ民主主義でプロレタリアートの生活が改善されるなどというのは夢物語も良いものだ。

科学的社会主義の父カール・マルクスも晩年に「普通選挙権は労働者階級の成熟の測度計である。それは、今日の国家ではそれ以上のものとはなりえないし、またけっしてならないであろう。しかし、それだけで十分である。普通選挙権の温度計が労働者のあいだで沸騰点をしめすその日には、労働者も資本家も、どうすべきかを知る
であろう(「家族、私有財産及び国家の起源(1884年)」より)」と述べているように、ブルジョワ普通選挙などただのバロメーターにすぎないしそれ以上のものではない。

プロレタリアートブルジョワ普通選挙に於いてその沸点を示した時、ブルジョワジーは確実にその本性を顕にする。その顕著な例がチリのサルバドール・アジェンデであった。ブルジョワ選挙でプロレタリアートの爆発的なエネルギーをもって立法権と行政権を得たアジェンデはたしかに階級的勝利を獲得したが、最終的には米帝の後ろ盾を受けた反動勢力の暴力をもって粉砕された。

これはブルジョワ選挙でもって「平和革命」を成し遂げることが可能であるという、かの日和見主義者カール・カウツキーの理論が完全に破綻し、国際共産主義運動において、その道が完全に閉ざされたことを歴史的に証明した。

このように、民主主義という名のもとに行われるブルジョワ独裁を粉砕するためには暴力が伴っていなければいかなるプロレタリア権力も存続し得ないことは明白なのである。故に革命とはすなわち暴力革命でなければならないという論理は決して間違っていないのである。

にもかかわらず、日本のリベラルや社会主義右派の面々は、問題のある部分だけを改善すれば良いという、かの200年前の反動政治家エドモンド・バークのごとき言説を垂れ流したり、また革命をやるといっておきながら平和革命などという周回遅れの理論を撒き散らす某「最大」左翼政党のような勢力でしめられている。

まったく馬鹿げた話であり、歴史を直視できない連中であるとしか思わない。

または歴史が現在と隔離されている存在だとでも言うのだろうか。

 

アメリカではBLMなどを始めとする人民の決起が至るところで起こっている。日本のメディアは今は報道しないがその決起は今も続いている。これらは暴力を伴っているということが非難の対象となっているが、虐げられた被抑圧者が抑圧者に対して立ち上がるときに暴力をもってする以外には自らを解放する手段はない。罵倒を浴びせかけているお行儀の良い連中は、まさか話し合いで彼らが自ら権益を捨て去ってくれるという期待をしているのだろうか?そうだとすればどっちが「頭の中お花畑」なのであろうか?

資本家であるトランプはもちろん、バイデンもまた労働者階級の味方では決してない。その欺瞞が暴かれるのが今回の選挙なのだ。

ブルジョワ選挙の欺瞞が暴かれ労働者が決起し、自らの政府、すなわちコミューンを作り、ソヴィエトをもってそれを統治するのだ。

それこそが99%のための政治なのだ。