ロシアンティーを一杯

あくまで個人の意見です

唯物論③

前回は、物質が精神を規定するところから、社会的物質が社会を規定し、さらにその社会的物質をコントロールできる人々、則ちブルジョワジーが民衆の精神を物質を通じてコントロールできるというところを解説した。

 

さて、この社会における物質はやがて精神との間で矛盾を生むことになる。

社会における物質的環境は常に絶え間なく変化を続けている。産業の発展もそうだし、または社会的環境のみならず自然環境は確実に、しかも不可避な事象として変化を続けている。たとえば代表的なものは天災・疫病などである。

変化した先の物質的環境で、つまり一度規定された人々の精神がそれに対して矛盾してしまうのである。

豊かな物質的環境で育まれた人々の精神は何らかの理由で恵まれない物質的環境に遭遇したときに、その矛盾から人々の間で疑問が生まれる。

わかりやすく例を出せば、ご飯がたくさん食べられる時代から、たとえば飢饉や戦争などでご飯が食べられない環境になった時に、人々はこの矛盾に対して疑問を抱くようになり、そこからそれに呼応するさまざまな思想が生まれたり、抵抗のために革命が起こり、そしてそれにより時代革新、進歩が起こるのである。

例にして出せばロシア2月革命などはその最たる例とも言える。長らく続いた帝政は、テロや革命政党の台頭でも頑として動かなかったが、戦争やそれに伴う食糧不足という物質的環境の変化によって、まさに「歴史的必然」として革命へと発展した。この革命は特定の政治勢力によって引き起こされたものではなく、自然発生的に起こったことは現在でも知られている。ロシア革命は歴史的イレギュラーだという歴史学者もいるが、マルクスの理論に照らし合わせれば、起こるべくして起こったものだと言える。

ロシア革命はもっともわかりすい事例として出したが、資本主義による貧富の格差はまさにプロレタリアートにとっての精神的矛盾を生み出し、そこから革命へと発展するという理論を、まさに歴史的必然として、マルクスは生み出したのである。そして、資本主義世界が生み出した思想や物質的環境は、被搾取階級であるプロレタリアートの闘争をより一層強いものとした。共産党宣言でも触れているが、資本主義で発達した交通や通信手段は、異なる地方の階級同士をつなぎ、一地方の闘争を全国的闘争へと発展させるための強力な武器とした。

資本主義の発展は、同時に資本主義に抵抗する力をも高めていったのである。

今まさに、疫病である新型コロナウイルスによって、世界は変革を迫られている。テレワークや産業のデジタル化は、この一連の感染爆発の中でより一層進むこととなった。しかし、これにより、世界中の人々は共通の課題を抱えることになり、特にプロレタリアートはコロナ恐慌と資本による一層の搾取にさらされることとなった。共通の物質的環境の変化が現れたならば当然のことである。

しかしこれにより、人々はますます結び付きを強める手段を手にすることになる。

革命情勢は刻一刻と迫っているといろんな左翼団体は言っているが(彼らには革命は起こせない!)、唯物論的に言えば、まさに1917年よりも世界革命に最も近い時代が現代であるとも言える。

 

労働者は、ときどき勝利することがある。しかし、その勝利は一時的なものにすぎない。労働者の闘争のほんとうの成果は、直接の成功にあるのではなくて、労働者の団結がますます広がっていくことにあるのだ。

              ーカール・マルクス共産党宣言

 

 

3回に渡ってマルクス主義の根底にある哲学を解説した。自分自身、深く理解しているとは思っていないので、また機会があれば唯物論研究の成果を書いていきたいと思う。

それではまた。

唯物論①

唯物論、というとマルクス主義の根本的な概念だが、これがどういうものかというと左派にシンパシーを感じている人でも説明できる人はそうそういないのではないだろうか(ガチガチの古参活動家ならむしろ説明できないほうがおかしいと思うけど)

ということで、自分用のメモがてら、ここにわかりやすい唯物論の基本的な知識について書き記していきたいと思う。

 

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前進11月16日 論評

「トランプ打倒!次は菅だ」

 

という見出しだがトランプを打倒したから労働者階級の勝利か、と言われると決してそうではない。民主党政権になったところでむしろ米帝の性格は何も変わらない。トランプ個人を打倒したところで資本家階級全体にとっては大した打撃にはならないことは明らかだ。

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アメリカ大統領選挙

2020年の大統領選挙で民主党ジョー・バイデンが、現職大統領共和党ドナルド・トランプを破って次期大統領となることが事実上決まった。不正の疑いなんてのもあるようだが仮に不正をやっていたとしてもやっていなかったとしても、米帝の暴力的な性格は不変である。まーようするに

 

くだらん

 

の一言に尽きる。

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党生活はつらいよ

今わしは一応ながらも某セクトに所属している。
まあ機関紙だけ読もうと思ってコンタクトを取って、その挙げ句オルグされたからはいったのだが、正直入る時は「さすがに入るのは…」とあまり乗り気がしなかったので一度は誘いを断って二度目のオルグで入った(その後組織に連絡しなくても一部の本屋でも買えることを知った)。というのも過去に複数のセクトに入れ込んだ経験があり、そこで苦い思いをしているからだ。だからセクトに所属してはいるもののセクトというものが心底嫌いだ。以下の文はその苦い思い出の一部だ。
 

とんねるずは平成の遺産

news.yahoo.co.jp

 

とんねるずってまさに平成の世相そのものだと思う。

そしてとんねるずが令和の時代で受け入れられなくなったのも、バブルから平成の範囲で許されていた範囲で今に至るまで暴れまわっていたからというのもあるのだろう。

筆者はとんねるずの芸風は好きではないが、筆者が平成を思い浮かべるに当たって真っ先に思い当たるのは「した」を風呂上がりに家族で見た光景である。

良くも悪くも彼らが平成の文化の担い手であったことは認めざるを得ないかもしれない。